愛猫を失ったことで得られた神様の愛

愛猫について//////
  1. home
  2. 愛猫について
  3. 愛猫を失ったことで得られた神様の愛

愛猫バジルの旅立ちから今日で一年。

あの子と過ごした日々が少しずつ遠く離れ、懐かしさを感じると共に、時に無性に寂しさを覚えたり。
恋人同士のように溺愛していたあの子を、まさか最初に看取るとは想像もしていなかった一年前の今日。

目の前で起きていることに心が追い付かず、私の願いとは反対に状況が目まぐるしく変化して行く中、信仰を持っていなかったらあの状況を乗り越えることなど絶対に出来なかった。

今もきっとバジルの幻を追い求め、目の端に映らないか探し求め、彷徨っていたと思います。

「ペットロス」と検索すると心の病と紹介されている。

それほどに心を尽くし愛し続けた我が子同然のペットを失うことは、人間にとって凄まじい心の負担なのだ、と思います。

知り合いのお母様は二年前に愛猫を失い、今も尚その死の悲しみから立ち直れていない、とお聞きしました。

私達夫婦は昨年、愛猫2匹を病気で失いました。 でも私達は愛猫の死に立ち止まってはいません。

だから人によっては冷酷に見えるかも知れない。

でも、真理を悟ったので前に進むことが出来ました。

前に進まないことは楽ですが、前に進めないことはとても苦しいことです。

一番溺愛していた我が子を一番最初に看取る経験を経たからこそ、沢山学ぶことが出来、沢山のことを悟ることが出来ました。

同じように苦しまれている人は沢山いらっしゃるはず。 
自分も苦しんだからこそ、一人でも多くの方の支えやキッカケになれれば、、と私の身に昨年起きた出来事を書き記したいと思います。
—————————–

高齢の父断っての願いで、暫くぶりに足が遠のいていた父の実家に帰省する計画を立てたのが昨年の8月末。

父の願いを叶えてあげよう、と夫と共に一泊旅行を決めたのも、補液とインスリン投与が欠かせない身体ではありましたが、バジルちゃんの容態が小康状態を保っていたからこそです。

― 余談になりますが、この旅行をキッカケに父の若い頃の話を沢山聞くことが出来ました。 

働き口を求め、身寄りのない都会に出た父は、長らく下着を買い替える余裕もないほど極貧生活を送っていたそうです。 今のようにインターネットが普及していない当時は気軽に連絡を取ることもままならず、生活が依然厳しく苦しい中、実家が本当に恋しくて恋しくて、心身ともに疲弊しきっていた父に転機が訪れ、生活が安定した経緯を聞いた時、父が神様にずっと守られ愛されてきたことを悟り、心から感動しました。

父を少し誤解していた私にとって、父を悟る良い機会になりましたし、この旅行は偶然ではなく神様のお導きだったのだ、と深く悟ることが出来ました。 ―

旅行の計画を進めていた矢先、バジルの容態が少しづつ悪化していきました。 急な変化に戸惑いながら、また病院通いが始まりました。 日中病院に預けて容態を診て頂いていたのですが、これと言って特別な治療を施すことなく一週間が経ってしまいました。
 
当時の写真を見てもバジルはかなり瘦せ細っており、恐らく主治医の先生も、これ以上の治療には耐えられない、とすでに覚悟されていたのかも知れません。

しかし私はこの年の冬に大きな奇跡を見せて頂いたばかりでしたので、状況の急激な変化に理解が追い付かず、バジルの回復を願い、先生にもっと改善出来る治療はないか訴えていました。

神様にもバジルの回復を沢山祈り求めました。 人生で初めてと言えるほどに、涙ながらに訴えました。

―でも、手ごたえがありませんでした。

年明けの奇跡の時、私はバジルのために祈ることすらしていなかったのに、神様はご自身を表すために私に奇跡を見せて下さった。

今回、私は神様の御前にどこまでもへりくだり、熱く祈り求めたのですが、バジルの回復を願っても手ごたえがありませんでした。

一方、たとえどんな結果になろうとも神様に心から感謝します、と熱く祈ると熱い感動を頂きました。

・・・これでは導き出される答えは一つしかない。

とても焦りました。 

私の勘違いではないか。 何度も自問して何度も何度も祈りました。
 

しかし現実は自分の思い通りには行かず、とても厳しいものでした。

9月13日。 亡くなる前夜のことです。 当時の忘備録を読み返すと、バジルはもうダメだ、と私自身既に悟っていたことが分かります。

冬の危機を乗り越えた際に活躍した高カロリーのリキッド。 少しでも飲んで回復してほしい、と口に含ませてももう喉を通らず、バジルは弱った足腰で冷えた身体で更に冷たい暗がりに行こうとしていました。

どう見てもダメなのは分かってる、でも神様ならこんな絶体絶命の危機を解決してくれるはず、と信じ、熱く祈り求めました。

焦燥しきった中、ふと讃美歌について検索したところ、目に留まったのが「鹿のように」でした。

この讃美歌は、以前十二弟子のNANAさんがInstagramでアカペラで歌っていらしたことを何となく覚えていたので、どういう曲だったか思い出したくて聞いてみたのですが、曲が流れ始めた途端、自分でも驚くほど号泣してしまいました。 優しくて美しい旋律がまるで心配と不安と焦りに駆られた私に神様が与えて下さった愛のように思いました。 

この讃美歌は今でも聞くとたまに当時を思い出して泣いてしまうほど、本当に大切な特別な讃美歌になりました。(その後、NANAさんが演奏付きで改めて歌って下さったので、本当に嬉しく思いました。リンク) 


そして迎えた9月14日。

病院にバジルを預け、帰ると病院からの着信があり、もう息が速いのですぐに戻るよう言われ、耳を疑いながらも急ぎ病院に戻りました。

酸素室に入ったバジルはすでに息苦しそうでした。

一縷の望みを思うと酸素濃度を下げる訳にも行かず、酸素室から出してもらうことなく窓越しに看取ってしまったので、息のあるうちにあの子をこの手で抱きかかえられなかったことは後悔しています。

本当に怒涛のような一日でした。 

先生がバジルのために涙を流して下さったのですが、あまりの急な展開に頭が追い付かず、目の前なのにどこかテレビの向こう側のような、時間軸がズレているような、自分だけ取り残されている気がしました。 

病院からバジルを連れて帰る時、助手席に乗せたバジルちゃんをケージ越しに見ながら、ちゃんとお腹が動いているか心配で確認するクセがありましたが、

「あぁ、、もう動かなくていいんだ」

と気付いた時、少しづつ頭が理解し始めたのか、運転しながら悲しみ寂しさを感じたことを覚えています。

神様は私の最愛の、恋人のような、我が子のようなバジルを奪っていった。

何度もバジルのために祈ったのに、神様は私の祈りを叶えて下さらなかった。

神様のお考えが分からず、自分が無視されたような、恥ずかしさ、悲しさ、交々な思いが頭の中で渦巻いていました。

でも、神様に恨みや怒りを覚えることは一切ありませんでした。

凄まじい悲しみが沸き起こりそうになると、それほどまでに何かを愛する経験をさせて頂いたことに、神様に心から感謝するよう努めました。

神様は与える方でもあり奪う方でもある。 御言葉で何度も学ばせて頂いたことです。

人智を超えたお考えがある。 だからどんなことがあっても、たとえ理解出来なくても、神様を信じること。
御言葉から離れることなく、どんなに奪われても神様を愛すること。 

神様を信じ、最愛のバジルを失ってもなお、神様に心から感謝しました。

少し短足気味で子猫体型のバジルちゃん。 動かなくなっても本当に可愛くて可愛くて仕方ありませんでした。
夫と共に、目が腫れるまで泣きました。 

火葬当日、豪華な花ではなく、庭に咲いていたお花を共に携えてあげました。

一通り終わったその日の夜。 夫も寝て静かなリビングで神様に祈っていた時です。

もう血糖値を測らなくても良い。インスリンを打たなくても良い。 補液の必要もない。 そしてあの子の姿もない、、

突如、凄まじい悲しみを覚え、声を上げて一人泣きました。 

ひとしきり泣いた後、ふと目をやると、最近購入した木製の椅子が目に留まりました。

その椅子は色が気に入って購入したのですが、届いてみると以前買った猫用ハンモックと色が一部合っていることに気付き、早速椅子に取り付けたところ色合いが非常に良くてとても気に入ったのですが、何故かその椅子をぼーっと見ていました。

その後、色々思いを巡らせると、その椅子と猫用ハンモックの色味が合っていたことに始まり、自分の環境、ひいては空気があること、この地球があること、これら全て、全てが神様の愛なのだ! 私たちは神様の愛に包まれているんだ! と大きく悟ることが出来、あぁ、バジルちゃんも神様に愛されていたのだ! と深く悟ることが出来た途端、今まで経験したことのないような、大きな大きな安心感に包まれました。

背中まですっぽり覆う大きな安堵と平和と静寂の中にいて、私はさっきまでの悲しみが嘘のように引いていきました。 その平安は、頭の片隅でバジルに申し訳ない、と思えるほど悲しみが吹き飛ぶものでした。

この体験を経てから、バジルが目に見えなくなった寂しさはあるものの、悲しみからすぐに立ち直ることが出来ました。 
母から後日「可哀そうだったね」とメールをもらったのですが違和感を感じ、バジルは可哀そうではない、とすぐに理解出来ました。 何故ならバジルは神様に愛されている、と悟ることが出来ていたからです。 

神様は天と地を創造され、人類が喜ぶよう動植物を創造して下さいました。
だから、神様が創造された猫であるバジルちゃんが神様に愛されていない訳がありません。

当時飼っていた子たちの中でもバジルは天真爛漫で素直な子で、心が通じ合い、一番溺愛していた子だったからこそ、最初に看取れたことは良かったのだ、と今では確信しています。

糖尿病治療によって彼女の身体はボロボロだった。 だから神様もバジルの命を早く引き取ったのだと思っています。 生き続けていたら、今もなお私達夫婦は高額な医療費を払い、あの子の治療を続けていたはずで、それは彼女にとってとてもストレスだったと思えるからです。

あの子を失ったことは本当にショックだったけど、バジルの死を通じて私は神様の愛を深く悟ることが出来ました。 

時に凄まじい悲しみに襲われることが何度もありましたが、その都度、これほどまでに愛する経験が出来た、と神様に感謝し続けましたので、今ではそのような極端に心が揺れることもなくなりました。

動物が生きることも死ぬことも神様の御心であることを学びました。

信仰がなければ「神様の愛」が欠如したままなので、ペットの死から立ち直ることは決して出来ない、と経験を通じて悟りました。 

人類は神様と愛を成すために創造された。 だから神様の愛を受けないと人類は生きて行くことが出来ず、最後は霊魂が干からび滅んでしまいます。

動物が生きるのも死ぬのも、神様が人類を愛すが故です。 

私が立ち直ることが出来たのは、ラプトさんが命がけで伝えて下さってきた御言葉のおかげです。
御言葉がなければ私は今なお立ち直る術が分からず、悲嘆に暮れていたと思います。

ペットロスは、他の子を新たに飼ったとしても、時間が経過しても根本的な解決にはなりません。
唯一、神様の愛だけが全てを解決出来ます。

神様がどれほどまで私達一人一人を愛されてこられたのか悟ったならば、どんな状況にあっても神様への感謝なしには生きることが出来ません。

そして、神様は、神様をいまだ知らない人類一人一人に至るまでどこまでも愛し続けていらっしゃり、神様に気付き、神様を心から愛し、神様と愛を成せる人がいないか探し求め、救い出そうと懸命に働かれていらっしゃいます。

どうか一人でも多くの人が御言葉に出会い、神様の愛に気付き、神様と深く愛をなす人々でこの世が満ち溢れますよう、心よりお祈り致します。

RAPT朝の祈り会(2023年3月分)

2023年3月3日(金)
知能の低い人は、狭い視野の中でさして重要でないことを重要だと思って、それだけに囚われて生きるから何の発展もない。知能の高い人は、常に全体を見渡して、その中で最も重要なことから優先的に行っていくから常に発展し、栄えていく。

RAPT | RAPT朝の祈り会(2023年9月分)

2023年9月8日(金)
神様は常に私たちに全てのものを豊かに与えたいと思っていらっしゃる。それなのに、あなたが豊かに受けられないなら、あなたがそれを受けるに相応しい器になっていないからだ。(なぜ霊的な祝福を豊かに受けた者が、肉的な祝福にも豊かに満たされるのか、その法則について具体的に教えてくださった御言葉。)

RAPT | RAPT有料記事626(2022年2月5日)神様は長い間、人類から反逆されてきたことに心を痛め、苦しんでいらっしゃる。そんな神様の心情を分かって慰め、癒やしてさしあげる者を、主は嬉しく思って愛し祝福してくださる。 (rapt-neo.com)

RAPT | RAPT有料記事772(2023年9月4日)真理を知って実践する者の祈りは必ず叶えられる。 (rapt-neo.com)

RAPT | RAPT有料記事700(2022年11月26日)あなたがこの世に生まれてきたのは、あなたの霊魂を成長させて天国に入るためだ。それがあなたの人生の最終ゴールだ。 (rapt-neo.com)
RAPT | RAPT有料記事473(2020年6月8日)主があなたの祈りを叶えるのも、全てには時がある。だからその時が来るまで、焦ることなく、落胆することなく、主を信頼して祈り求めなさい。 (rapt-neo.com)