心から信じて祈る祈りは必ず叶う

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思い返してみると、私はラプトブログに出会うまで、神様に真剣に祈り求めたことがありませんでした。

お正月に家族や友人と初詣に出向き、長蛇の列を耐え忍び、やっとの思いでいざ最前列までたどり着いてみても大して祈る内容も思い浮かばず、何なら苦労して並んだことそれ自体を美徳と思い込んでいたように思います。

歳を重ねてからは「沢山祈ること=欲望の塊」のように感じ、お賽銭箱の前で雑多な人ごみの中でもその場をどかず、必死に長時間祈る人を醜くさえ思っていました。 

ラプトブログに出会う直前の頃など参拝に出向いても何ら言葉が頭に思い浮かばず、「世界平和」といった聞こえの良いワードを頭に浮かべ、感情もなくせっせとお辞儀だけしていました。 今思えば本当に虚しいことをしていたと思います。

私は初期の頃からタイムリーに御言葉を聞いてきた一人ではありますが、霊感も弱く肉的にも特に不自由を感じていなかったため、御言葉を読んだだけでその気になり、自分は従順に生きていると思いこんでおりましたが、実際は中身のない、上辺だけの信仰生活を送っておりました。

先日の御言葉にもありますとおり、ラプトさんは祈りで台風を三度止ませたお話を度々お話下さいますが、御言葉でご指摘頂いておりますとおり、私も長らく台風を止ませたその事実だけに着目しておりました。

RAPT有料記事695(2022年11月5日)豊かな恵みに満たされて生活している人が霊的に成長し、神様から大きな使命を受けて御心を成すようになる。

祈りが叶ったことにより神様の存在をはっきり認識出来たこと、それにより信仰がしっかり入ったということ。 
神様、ラプトさんが私たちにお伝えしたかったのは台風が止んだことではない。 
その真意を長らく理解出来ずに過ごしておりました。

私は霊感が弱いので、霊的なお話を見聞きしても想像することしか出来ません。 
神様の存在を霊的に感じることが出来ず、その結果五感を意識した想像に徹し、物体として神様の存在を必死に思い込もうとしていたように思います。

しかし最近になりやっと、信仰とは見えない神様の存在を無理やり想像して思い込むことではない、と悟ことが出来ました。

そして先日の御言葉でも沢山の祈りを捧げ、沢山の祈りを叶えてもらう人になりなさい、と教えて頂きました。

ラプトさんのように祈りが何度も叶うことで信仰が入り、更に深く強度が増すからです。


前述のとおり、私は今まで叶えられると心から信じて祈りを捧げたことがありませんでした。

それは信仰を持ってからも変わらず、悪人の滅びや人類が救われること、このような大きな祈りには賛同し共に祈って参りましたが、自身の身近な願いや悩みなど、細かな現実的な祈りを真剣に捧げたことはなかったように思います。

何故か。 

御言葉で以前ラプトさんが仰っておりましたが、怖かったからです。

祈っても叶えられないことで傷つくのが嫌だったからです。

潜在的に思っていたことではありましたが、今では何と思慮が浅はかだったのだろう、と思います。

祈りが叶う体験を何度も経験することで、神様の存在を知識的に頭で理解するのではなく、心の底から信じることが出来る。 

その真意を深く悟り、最近は真剣に祈り求めるようになりました。 
叶えられるまで祈り求めるようになりました。

そのおかげで先日、神様から一つの奇跡を賜りました。

ここではあまり詳しく書けませんが、夫の勤務先でトラブルがあり、土日の休み中も夫は取引先と携帯であれこれ協議を重ねておりました。

停泊中の貨物船にトラブルが発生、そのままでは海洋汚染につながる恐れがありましたが、原因が分からず、金銭的なコストを考えるとこれ以上出港を遅らせることも出来ず、このまま海洋汚染となっても仕方がないというものでした。

夫や関係者は諦めているようでしたが、私は海洋汚染がどうしても許せず、心の中で神様に、神様の存在を確かめたいこと、祈りが叶うということを私も体験したいこと、海洋汚染をどうか防いでほしいと祈りました。

するとその日の午後、再度夫の携帯に連絡があり、原因が分かりトラブルが解決したこと、海洋汚染にもならずに無事船が出港出来たと報告があったのです!

私は心の中で静かな、しかし大きな喜びで満ち溢れておりました。

祈りが叶うとはこういうことか、と実感致しました。 神様に心から感謝したことは言うまでもありません。


ラプトさんは御言葉で、24時間祈りを捧げなさい、と仰って下さいます。

神様の御心に叶うかどうかは私達人間には分からないのだから、とにかく胸の内にある思いを祈りなさい、と仰って下さいます。 

これがどれほどの喜びでしょうか。 今は深く理解することが出来ます。

RAPT | RAPT朝の祈り会(2022年11月分) (rapt-neo.com)
2022年11月1日(金)
平素からあなたの心にある願いを神様に祈り求めなさい。その祈りが御心に適っているかどうか分からなくても祈りなさい。祈ったことはおおよそ全て叶えられるし、祈ることで信仰も深まり、神様との愛も深まっていくから祈りなさい。

また、神様に向かって真摯に祈り続けることにより、その祈りが清くなるとも仰って下さいました。

RAPT | RAPT朝の祈り会(2022年10月分) (rapt-neo.com)
2022年10月31日(月)
神様はこの地球をサタンとイルミナティから取り戻し、神様と義人たちが統治する世界に作り替える計画を立てていらっしゃる。だから、私たちが世界的な働きを成したいと願い、世界的な規模のものを祈り求めるなら、神様が全て喜んで与えて下さる。

前述で述べました神社仏閣での祈りはサタンに向かって祈る祈りであり、どこまでも自己中心的な祈りなので、傍目から見ていて清さを感じることが出来ません。

祈れば祈るほど、清くなるどころかドロドロと心にまとわりつく欲望へ変質していき、いつしかその欲望を抑えきれずサタンに主管されるようになるのです。

正しい神様に祈れば心清くなり、身も心も軽くなります! 不安も悩みも消えて毎日がとても過ごしやすくなります。

たとえ嫌なことが起きても神様に祈り求め、不安心配悩みが消えるまで祈り続けることで、また心に喜びや希望が湧いて来るのです。 御言葉で教えて頂いているのこの法則を私も日々実践しております。

祈りが叶うまで時間がかかることもありますし、祈りが叶えられないこともあります。 それでも諦めることなく、希望を捨てることなく、神様に祈り求めています。

まだまだ私は肉的な祝福にあずかることは僅かですが、霊感の弱い私であっても最近は聖霊の恵みを賜ることが増えて来ました。 とても熱い感動を賜ることで、私の歩む道は間違っていない、と再確認することが出来ています。

日本はこれから益々裁きが増し加わり、御言葉に聞き従わない人は厳しい裁きにつぐ裁きに見舞われると御言葉で宣布されています。

そのせいもあって、最近は仕事上で出会う人の大半が暗く沈んでいる人が多い、と肌身に感じるようになりました。 愛を持たず、他人を思いやる余裕のない人がとても増えたように思います。

しかし、神様は御言葉を万人に宣布して下さり、誰もが神様にたどり着くことが出来るよう、道を整えて下さっています。

祈りは救いの第一歩。 祈ることは義を立てることでもあります。

救いの機会を逃すことなく、多くの人が神様にたどり着くことが出来ますことを心よりお祈り致します。